豊門公園とは|小山町の文化財・豊門会館と西洋館の歴史
About Homon Park
豊門公園について
豊門公園とは、静岡県小山町にある国登録有形文化財を有する公園です。
明治~大正にかけ爆発的な成長を遂げた富士紡績と共に歩んできた小山町の歴史が残る場所で、大正15年の豊門会館開館式以降、富士紡績社員や来賓、地域の人々に利用されてきました。
Fuji Spinning
富士紡績と小山町
明治29年、小山町(当時は六合村、菅沼村)に流れる川の水を動力にした紡績会社「富士紡績」が誕生。
それをきっかけにこの地は、近代産業史上類を見ない爆発的な成長を遂げることになります。
農村地で発展の兆しが無いとされた場所に、ありとあらゆる娯楽や飲食店等が進出し、ごく短期間で地方の小都会にまで発展しました。
Homon Origin
豊門の由来
豊門(ほうもん)の由来は、地名等ではありません。
富士紡績 発展の立役者である「森村市左衛門」、「日比谷平左衛門」、「浜口吉右衛門」「和田豊治」4名から来ています。
どなたも小山町出身などではなく、当時の経済界の重鎮達であり、そんな大物達がまさに命を削り、富士紡績を成功に導きました。
そんな英雄たちの功績を永遠に残すべく、その名前から「豊」と「門」を取り豊門と命名されたのです。
Toyoji Wada
和田 豊治について
和田豊治翁は大分県中津の貧しい武士の家系に生まれました。
慶応義塾への進学をきっかけに事業家としての才能が開花すると、40才で創業以降経営難に喘いでいた富士紡績の専務に就任。僅か二年足らずで奇跡とも言われる再建を果たし、瞬く間に日本有数の大会社にまで成長させました。
以降は「財界世話人」として幾多の会社の設立に携わり、晩年は貴族院議員となり政界にも多大な影響力を持ちました。
Eichi Shibusawa
渋沢栄一との関係
数多くの財界人と繋がりを持ち、その影響力が政界にも及ぶ和田豊治は、晩年には「渋沢栄一の後継人」と呼ばれるようになりました。
実際、渋沢栄一との関係も深く、渋沢栄一の孫である渋沢敬三の結婚式では、和田豊治が媒酌人を務めています。
この写真には渋沢栄一だけでなく三菱財閥の岩崎弥太郎の妻「岩崎喜勢」、後に首相を勤める「加藤高明」、「幣原喜重郎」など錚々たる人物達が顔を並べます。
建築と庭園の見どころ
豊門公園は主に和田豊治翁の旧邸宅である「豊門会館」と、「西洋館」、「庭園部分」の3つから構成されます。
豊門会館
富士紡績初代社長の「和田豊治」翁の旧邸宅。大正14年に東京向島から移築。当時流行していた和洋折衷の建築になります。移築されてからは迎賓館として使用されました。
西洋館
元々富士紡績の事務所であった建物を昭和5年に移築。当初は青年学校という研修施設でしたが、その後社員寮としても使われました。
庭園・芝生
芝と季節の花が咲く気持ちの良い公園になります。春は桜、初夏にはバラ、秋には紅葉が楽しめます。園地の管理は地元の有志の人々により行われています。